この街大スキ武蔵小杉

コスギーズ

武蔵小杉で活躍する人を紹介します!

2023.05.28

三ちゃん食堂

コスギーズ!とは…

利便性や新しさだけでなく、豊かな自然、古きよき文化・街並みもある武蔵小杉は「変わりゆく楽しさと、変わらない温かさ」が共存する素晴らしい街です。そんな武蔵小杉の街の魅力をお届けするべく、この企画では街づくりに携わり、活躍している人をご紹介していきます!

 

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三ちゃん食堂のものがたり

 

東京から、丸子橋を通って多摩川を渡り、川崎に入るとそこは新丸子の街。橋ができる前には、中原街道を行き交いする人々が「渡し舟」で通っていました。舟を待つ間に遊興の需要もあり、花街としてお茶屋さんが並んでいたというディープな歴史を持つ、人情味に溢れたとても面白い街です。

 

私が武蔵小杉で最初に住んだ場所は、等々力緑地にほど近く、新丸子の駅からも武蔵小杉の駅からも同じくらいの距離だったので、新丸子駅からよく歩きました。再開発で工事中の場所が多かった武蔵小杉より、東急の小さな駅舎を出ると、昔ながらの街並みが広がって、いくつかの商店街がある新丸子の方が新参者には優しく、楽しく感じました。

 

商店街に昔からあるというお店の一つ一つがとても元気で、その頃はまだ、都内にある事務所との行き来に便利だからという理由だけで選んだこの街にそれほど興味がなかったにもかかわらず、行き帰りに通るこれらのお店の活気から元気をもらっていたような気がします。

 

その中でも、もっとも活気があったのが「三ちゃん食堂」です。

 

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正午のオープンの前には、平日でも必ず行列ができます。

 

人気番組「孤独のグルメ」でも、主人公の営業マンが仕事で新丸子に来た時に、三ちゃん食堂の前を通ってその賑わいぶりに驚く、というシーンがありましたがまさにその通り。

 

そんな超人気店「三ちゃん食堂」のお父さん、中山知久さんと、おかみさんの初枝さんにインタビューができる日がくるなんて、その頃は思いもしませんでした。

 

みんなが大好きな三ちゃん食堂の、暖簾の向こうのそのまた奥の物語を今日はお伝えしようと思います。

 

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三ちゃん食堂の大将・中山知久さん

 

「俺はさ、二代目婿だから。三ちゃんってのはね、彼女のお父さんの名前。お父さんが三之助で、あだ名が三ちゃんだったんだよ。」

 

そう言いながら、知久さんはニコニコ笑います。

 

このお店「三ちゃん食堂」は、初代の中山三之助さんが終戦後にロシアから戻り、裸一貫この場所に立ち上げたお店でした。最初は食堂ではなく、八百屋さんだったのです。

 

その後、日本の経済が上向いてくるにつれ、社会が変わっていく中で「若者にお腹いっぱいご飯を食べてもらいたい」という気持ちで、食堂に業態を変更したのが1967年。当時は、餃子、ラーメンを中心に提供していたので「中華食堂」という呼び名がお店のマッチにも名残りで残っています。

 

知久さんは、そのころ建築の専門学校に通う学生でした。三之助さんの長女、初枝さんと運命の出会いをし、土日などの休みにお店を手伝うようになります。

 

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「自分がラーメン屋をやっているイメージは全然なかったけれど、彼女と結婚するだろうって思ってからは、もう建築の資格を取らなかったね。親父さんから、お前にはできないだろうって思われてるのが悔しくて。やってやろうと思ってた。負けず嫌いなんだよ。」

 

包丁を握ったこともなかった知久さんですが、見様見真似で少しずつ技術を身につけていきます。初枝さんと結婚してからは、がむしゃらに色々なことを吸収していきました。

 

「建築と違って丁寧に教えてくれる師匠なんていないし、市場に行っても、別の店に行っても人のやり方を観察して、ああ、やっぱりこれでよかったんだと確認してたよ。」

 

やがて、初代が病を患ってからは、知久さんがメインで料理を作るようになりました。試行錯誤しながらも作れるメニューが増えていきます。

 

「おやじさんが病院に入院してて、3ヶ月に1度帰って来てたんだけど、その度にこの黄色い短冊が増えてるだろ。それを見て、ああ、こんだけ料理を作るのか、うちの婿はなかなかやるな、と認めてくれたんだ。最後はちょっとは安心して託してもらえたんじゃないか。」

 

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店内に貼られた白い札のメニューは80種類以上、さらにその下に貼られた黄色い短冊には約30種類ものメニューが並んでいます。その他にも、店内のあちらこちらに張り紙のメニューが。

 

これだけたくさんの種類の料理を作るのは本当に大変そうですが、知久さんにとってこれらのメニューは、料理人として一つ一つ、自分の技を習得してきた歴史を表してもいるのですね。

 

だからこそ「どのメニューが一番おすすめですか?」という質問には「そんなのないよ。全部おすすめ。どれも手抜いてないんだから。」と胸を張ります。

 

どのメニューもボリュームたっぷりで、コスパも良くて、確かにおすすめ一つを選べないのは、お客さんたちも同じかと思いますが、それについては知久さん、ちょっと言いたいこともあるよう。

 

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「もともと、うちのメニューは1人1品を頼む前提で作ってるんだ。居酒屋じゃなくて、食堂なんだから。足りなくてお腹が空いちゃうとかわいそうだから、多めに作ってたの。でも今はみんなシェアされちゃうから。本意じゃないけど、ものによっては値上げもさせてもらったよ。これも時代の変化なのかな。コンセプトが変わっちゃったからね。」

 

値上げした、とは言ってもまだ十分にリーズナブルで、驚くような価格なのですが…。長く破格な値段で地域の若者たちの胃袋を満たすことに情熱をかけてきた三ちゃん食堂の知久さんとしては、忸怩たる思いを滲ませるのも無理はないですよね。

 

知久さんが腕を磨いた結果、これだけ美味しそうなメニューが並んでしまったのですもの。色々なものを少しずつ食べたくなるのも人情なので、そのあたりは必ず1人1品以上注文する、ということでどうかお許しいただけると…!

 

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女将・初枝さん

 

女将の初枝さんにもお話を聞きます。

 

知久さんがお店を継いでくれることになって、それからは二人三脚で2代目の三ちゃん食堂を切り盛りし、地域で愛されるお店にしてきました。

 

「あの人は、何の経験もないところからやらなきゃいけなかったし、大変だったと思う。いっぱい感謝して、支えてきましたよ。」

 

三ちゃん食堂のおかみさんといえば、メモを取らずに注文を全部記憶して、会計も全て暗算でやってしまう、伝説の凄技師なんですよね。初枝さんにそのことをお尋ねすると、

 

「ああ、あれはね。そうするより仕方なかったのよ。とにかくお昼時は混むし、いちいちメモを取ってる暇なんかなくてね。高校生の頃からお店の手伝いをしていたから、早く厨房に注文を伝えるために、記憶しちゃえ!って。その方が便利だったの。」

 

そうは言っても、なかなか覚えられるものではないような気もしますが…。

 

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「集中するのよ。他に気が行くと一気に飛んじゃうから、注文のことだけ考えて。お客さんの顔も注文と一緒に覚えちゃうの。」

 

そんな初枝さんの姿を見て、アルバイトの従業員もみんな、メモを取らずに覚えていたのだそう。それは「すごい店がある!」と地域で話題になっちゃうのも無理はないですね。

 

武蔵小杉には、多摩川の周辺に多くの学校や実業団のグラウンド、スポーツ施設があるので、学生時代や若い時分にそこに通ううちに、三ちゃん食堂のファンになった人達も多いようです。私が今までお話を聞いた中には「意外と女性に喜ばれるので、若い時にデートでよく使いました。」という男性もいました。

 

若い時に三ちゃん食堂の料理でお腹を満たした思い出がある人は、年を取っても友達を連れて、懐かしそうに三ちゃんの暖簾をくぐります。「同窓会があるから」「久しぶりに武蔵小杉に来たから」と。

 

「常連さんのお子さんや、昔うちで働いていた人の子どもが大きくなってうちで働いてくれるんですよ。厨房でも、ホールでも。」

 

三代目も活躍中

 

現在三ちゃん食堂では、知久さんと初枝さんの息子さんが厨房に立ち、娘さんがホールで働いています。

 

「せがれはね、調理師学校で日本料理習って、首席で出ちゃうようなやつなの。卒業後は丸の内のお店に入って、包丁捌きから何から一流だよ。彼がお世話になった日本料理屋さんがうちに食べに来てくれて、何を食べてもうまいねって言ってくれたのは、嬉しかったね。」と、知久さんは目尻を下げます。

 

「彼は何でも作れるんだけど、うちの厨房ではちゃんと『郷に入っては郷に従え』でやるんだよ。この店のやり方に物言いをつけるようなことはしない。賢いよね。気がついたら出汁の取り方が違っていたり、ラーメンの醤油が変わってたりするんだけどさ。」

 

そんな話をするうちに、開店の時間になり、さっと娘さんが表に暖簾を出しに行きました。初枝さんもその姿を眺めながら「とっても頼りになるの」と嬉しそうです。

 

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そして、待ちかねていたように、お客様が店内に入ってきて、一瞬で満席になりました。明るい声で注文が飛び交い、昼間からビール、ハイボールや日本酒を頼む人もいっぱい。

 

注文の品はすぐに出てきて、誰もが笑顔でそれを食べ、飲んで語らっている、以前と変わらない光景に、たとえ新型コロナのような禍を得ても、親しい人と美味しいものを食べる時間を大切にする人間の基本的な営みは普遍的なものだな、と感銘を受けました。

 

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 せっかくなので、私たちもランチを食べていくことにしました。

 

アジフライにポテトサラダ、季節野菜の和物(この日はウド)は大体いつも頼んでしまうメニューです。

 

えび天、舞茸天、ちくわ天。塩でいただくのが美味しいんですよね。

 

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個人的にはミョウガ天もおすすめです。

こちらはレバーイタメ。

 

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レバーショウガも美味しいんですよ。

 

いつの時代だってヒーローだった、ラーメンと、焼肉丼。

 

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「こういうラーメンって、小さい頃に親に連れられてきたデパートの上で食べたよね。」などと、昭和風な会話を交わしながら周りを見渡すと、本当にそこだけ昭和という時代が大切に残されていたかのような、どこか懐かしく愛おしさを感じる光景です。

 

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知久さんが振りながら育てていった鉄鍋で、息子さんと一緒に確かな仕事をしている厨房。その場所とお客さんのいるホールをつないで忙しく働く初枝さんと娘さん、あたたかい雰囲気でサポートしているスタッフのみなさん。

 

これからも、この食堂が新丸子の街にあって、老いも若きも誰もがその暖簾の中で、日常の中の幸せな時間を過ごし、笑顔でいられる場所であることは間違いないと、お腹も満たされ、心も満たされて、お店を後にしました。

 

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三ちゃん食堂のみなさま、この街で56年、最高のお店を続けてくださり、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします!

 

■お店情報

三ちゃん食堂

〒211-0005 神奈川県川崎市中原区新丸子町733

044-722-2863

 

 

ライター プロフィール

Ash

俳優・琵琶弾き。「ストリート・ストーリーテラー」として、街で会った人の物語を聴き、歌や文章に紡いでいくアート活動をしている。旅とおいしいお酒がインスピレーションの源。

 

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カメラマン プロフィール

岩田耕平

 

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