CAGHIYA BREWERY 佐藤学さん
コスギーズ!とは…
利便性や新しさだけでなく、豊かな自然、古きよき文化・街並みもある武蔵小杉は「変わりゆく楽しさと、変わらない温かさ」が共存する素晴らしい街です。そんな武蔵小杉の街の魅力をお届けするべく、この企画では街づくりに携わり、活躍している人をご紹介していきます!
「ビール作りは曲を作るのに似ている。生きている酵母の作り出す世界が面白い」
原点は農学部と音楽
最近、武蔵小杉にできたオシャレなクラフトビールのタップルーム、もう行きましたか?
武蔵小杉駅から東横線の高架に沿って府中街道に出たところに、鍵屋醸造所のタップルームがあります。
時間制でクラフトビールが飲み放題ということで、いつでもとても賑わっています。そのビールは、武蔵中原の駅から歩いて6分ほどの、中原街道沿いの醸造工場で作られています。
本日は、川崎のクラフトビールシーンを牽引する、鍵屋醸造所の佐藤学さんにお話を聞くために、武蔵中原の工場に併設されたCAGHIYA TAP ROOMにお邪魔しました。
秋田県湯沢市の出身
佐藤学さんは、1980年に秋田県湯沢市に生まれました。お姉さんと妹さんに挟まれた3人兄妹で、小さい頃は歳の近いお姉さんと遊ぶことが多かったそう。お父さんがバスケットのコーチをしていて、学さんも物心がつく頃からバスケットボールに明け暮れる日々でした。
「秋田にはバスケの名門校があるので、どんなに頑張っても全国大会に行けなかったんですけどね。高校では、部活の休みにはギターを弾くようになりました。」
親戚の集まりでは、大人はもれなくお酒を飲む文化。パーティーを催すのが好きだったお祖母さんは「みんな酔っ払って帰ってくれたか?」が口癖だったそうです。
家族には大切にされていましたが、秋田で育った若者の常で、早く秋田から出たい、と思いながら生活していました。
高校を卒業して日大農学部へ
日大農学部へ進学し、念願の東京へ。
「家が兼業農家だったので、小さい頃から土や虫なんかが好きだったんですよね。農学部では食品科学工学科というところで、食品に関することを勉強したんです。ウコンとか、抗酸化作用とか。」
- その頃から将来は飲食店をやろうと思っていたんでしょうか?
「いや、全然(笑)。将来のことなんか何も考えてなくて、ひたすら音楽をやっていた大学時代でした。サークルでバンドを作って、作曲を始めたらますます楽しくなっちゃって、やれるところまで音楽をやってみようと思っていました。」
- 卒業しても就職はしなかったんですね
「はい、アルバイトをしてお金が貯まると、バンに機材を詰め込んで、ライブをしながら日本全国を回っていました。バンドメンバーもみんなそんな感じで。」
- 日本だけですか?
「いや、日本の音楽シーンは特殊で、自分たちにとっては物足りなくなったので、憧れていたイギリスにみんなで行くつもりでした。結局行ったのは僕一人だったんですけど…。」
音楽活動をするためにイギリスへ
現地の音楽に触れてみたい、との思いを強くした佐藤さんは、ライブハウスで仲良くなった英国人の友人を頼って2005年に渡英します。ところが、最初からいきなり出鼻を挫かれます。
「英国の友人が『こっちでアルバイトでもすればいい』と言ってくれていたメールを、うっかり入国審査の人に見せてしまいました。仕事を探しにきたんだと思われて、入国できずに強制送還されてしまいました。」
- でも諦めずにまた渡ったんですね
「はい、今度はちゃんと戦略を立てて、語学学校に通うという名目でイギリス入りしました。荷物はバックパックとギター一本だけでした。」
- 語学学校には通ったんですか?
「はい、一応通いましたよ。昼は語学学校で、夜はバンド活動をしました。」
パブを中心にしたコミュニティに感銘を受ける
運良く、最初に住んだフラットでミュージシャンの友人ができて、彼についていろいろなパブに連れていってもらった佐藤さん。そこで、イギリスのパブ文化に感銘を受けたといいます。
「リバティーンズというバンドが好きだったんですが、日本でもよく知られているようなそういう有名人も普通にパブにやってきて、歌ったり飲んだりしているんです。演奏する方にも聴く方にも壁がないというか。」
- 大人同士の社交場のような感じですか
「そうですね。どこのパブでもお客さんや、店員さんがフレンドリーに話しかけてくれて、すぐに打ち解けるんです。僕のような外国人がいても、面白がって話しかけてきます。」
- 音楽をやっていなくても楽しめるんですか
「音楽は特別なものじゃなくて、普通にそこにあります。演奏者も特別なこととしてはやっていなくて、地域のコミュニティがパブを中心にできているというか。」
- 町内会のコミュニティスペースにお酒と音楽があるような?
「そうです。パブに行って、地域の誰かと話をすることが週末の過ごし方なんですよ。」
「自分が欲しい場所」を日本に作りたい
語学学校に1年通った後、カレッジでビジネスを勉強しながら、音楽活動を続けていた佐藤さん。4年半ほどの英国での滞在中に、携帯電話を2回盗まれたり、お寿司を出すレストランでタイ人に寿司の握り方を教わってアルバイトをしたりと、多くの貴重な経験をしたそうです。学生ビ
ザが切れるタイミングで、日本に戻り、新たにアーティストビザを取ろうとしましたが、それは叶いませんでした。
「仕方がないから、自分が居たい場所を日本に作ろう、と思いました。」
- パブを作ったんですか
「音楽パブをやりたかったんですが、音の問題と、日本にそういう文化が根付いていないので、難しいかなと思って、まずは軽バンでパニーニの移動販売をしながら、音楽活動ができる物件に住むことにしました。」
- それで川崎にやって来たのですね
「はい、パニーニの仕込みと音楽活動ができる一軒家の物件を、北加瀬に見つけました。夜にパニーニを作りながら飲めるように、ほぼ立ち飲みのバーとしても稼働しました。それが最初に作ったお店『Cafe Club Key』です。」
Cafe Club Keyから鍵屋醸造所へ
2017年に、南加瀬でクラフトビールを作っていたマイクロブルワリーが辞めることになり、佐藤さんはそのあとを引き取る形でついにクラフトビール作りに乗り出しました。
「やっぱり、パブといえばハウスエールですからね。ビール作りには興味がありました。パニーニの仕込み場所で仕出しのお弁当を作り始めたら、それが当たってしまって忙しくなっていたので、そちらは人に譲って、鹿島田に新しく物件を借りて、2店目のCafe Club Keyを始めて、ビールを出しました。」
- ついに鍵屋醸造所が誕生したんですね、名前に込めた思いはどんなものでしょうか
「僕にとってはパブがカギみたいなものだったから。それがあると、扉が開いて、人と人が繋がっていくイメージです。」
- 鍵屋醸造所のビールには、楽曲の名前がついていることが多いですね
「この曲を聴きながら飲む、というシーンをイメージして味を考えることが多いんです。あと、ビール作りは曲作りとよく似ていて。酵母は生き物なので、同じ材料を用意して作っても、人によってまったく違うものができるんです。同じリフを使っても人によってまったく違う曲になるように。」
- 計算通りにはいかない、ということですね
「生きている酵母の醸し出す世界が面白いんです。しかもそれを飲んだら酔っ払うんですよ。最高でしょ。」
ビールで街を盛り上げる
- 私が初めて佐藤さんにお会いした時には、焼き鳥を売っていらっしゃいましたね
「2021年ですね。コロナ禍でステイホーム応援企画として、ビール酵母に漬けた焼き鳥を一本10円で売るっていう企画でした。」
- 飲食店は協力金をもらっているので、少しでも街のために還元したい、とおっしゃっていたのが心に残っています
「クラフトビール自体が交流文化なんです。一人じゃない、みんなで頑張っていこう、っていう気概を作り手はみんな持っていると思います。」
- その時にも緊急事態宣言が明けたら、たくさんビールのイベントや、他の飲食店とのコラボレーションを行って街を盛り上げたい、とおっしゃっていましたが、その言葉通りにコロナ収束後はとてもたくさんのイベントを仕掛けてきましたね
「とにかく、イベントが好きなんです。ただその日そこを通っただけで、新しい出会いがある。音楽との出会いのように、偶然出会って好きになる、そういうものを仕掛けていくのが楽しいんです。」
- 川崎のクラフトビールの作り手同士の交流も積極的に行っていますね
「ライブで対バンを呼ぶ感覚ですかね(笑)。川崎でビールを作り始めて気がついたのは、この街は立地はいいけれど、観光地でもなくて『これ』って推せる特色がそれほどない。みんなそういうものを欲しがっている、ということです。だから作り手同士が協力しあって、特産品としてのビールを推す、という空気ができています。それぞれに拡散する力があって、みんなでやるからこそ広がるし、面白いんです。」
川崎のコミュニティを縦軸に
2023年に、ついに念願の工場と、そこに併設するTAP ROOMを作った佐藤さん。中原にお店ができたことで、今までの川崎南部だけではなく、武蔵小杉周辺でもイベントを多く行うようになりました。
「ここ数年、クラフトビール、武蔵小杉、で検索してくれる人がすごく多くなりました。武蔵小杉のお店は、都内のビアバーなどに比べると少し価格を抑えめにしているのと、飲み放題という業態も珍しいので、ありがたいことにとても人気で、予約しないと入れないことも多いです。武蔵小杉のタップルームが広告塔になってくれています。」
- 都内から来ているお客さんも多い印象です
「多摩川沿い、南武線沿いには少しずつブルワリーが増えてきたのですが、まだ東横線沿いにはブルワリーがあまりないんです。ないなら、僕が作ろうかと…」
- それで今年は、自由が丘にもお店を作ったんですね
「はい。どんな出会いがあるか、楽しみながら。どこまで行けるかやってみたいと思っています。」
- 人と人との出会いは、まるで酵母とホップの出会いのように、どんな味わいが生まれるかわかりませんものね。ぜひ、これからも頑張ってくださいね!
終始やわらかい笑顔を浮かべながら、時に軽口を挟みつつ、ビールを語る佐藤さんは、ギターを片手に歌っているようにも見えました。
その音色を楽しみつつ、工場併設のタップルームでいただく鍵屋醸造所のビールは、すこしやんちゃさを残しつつ、洗練へと向かっていく最中のような味わいで、まさに成長中の武蔵小杉らしい一杯。この町の水と空気によって醸成された、特別なビールなのだな、ということを実感できました。
生物と音楽が大好きだった青年は、酵母と人々の営みから生まれるオリジナルのリフを歌って、自分にしかできない進化の旅を続けています。
ライター プロフィール
Ash
俳優・琵琶弾き。「ストリート・ストーリーテラー」として、街で会った人の物語を聴き、歌や文章に紡いでいくアート活動をしている。旅とおいしいお酒がインスピレーションの源。