かわさきFM 代表取締役 大西絵満さん
コスギーズ!とは...
利便性や新しさだけでなく、豊かな自然、古きよき文化・街並みもある武蔵小杉は「変わりゆく楽しさと、変わらない温かさ」が共存する素晴らしい街です。そんな武蔵小杉の街の魅力をお届けするべく、この企画では街づくりに携わり、活躍している人をご紹介していきます!
武蔵小杉には、川崎市唯一のラジオ局である「かわさきFM」というコミュニティFMがあることをご存知でしょうか。
コミュニティFMとは、超短波放送(FM)用周波数(VHF76.0~90.0MHz)を使用する放送です。放送エリアを地域に限定し、商業や行政情報などの地元情報に特化した地域活性化に役立つ情報を発信しています。
スタジオは、武蔵小杉駅北口からすぐの、武蔵小杉タワープレイス1Fにあります。
こちらの笑顔が素敵な女性は? ラジオのパーソナリティ?
いえいえ、こちらがかわさきFMを運営する「かわさき市民放送株式会社」の代表取締役、大西絵満 (おおにしえま)さんです。DeNAからの出向で、2021年の6月に同社の代表取締役に着任しました。
突然のオファー
(大西)「最初にお話をいただいた時にはまだ育休中で、多摩川の近くでベビーカーを押して歩いているところでした。DeNAでは人事にいたので、社内にいる社員約1,000人くらいのデータは頭に入っています。誰かふさわしい人がいないかと尋ねられているんだと思ったら、まさかの自分へのオファーでびっくりしました。」
大西さんは現在、未就学の二人のお子さんを育てています。かわいいけれど、一番大変な時期でもありますね。そのタイミングでかわさきFMの社長に就任する、というのはどんな気持ちだったのでしょう。
(大西)「ふたり目の出産が大変だったので、少し長めに育休を取ろうかと考えていたんですけど…。衝撃的なお話に、ワクワクしている自分がいました。育休のあと職場復帰したら既定路線で人事に戻って、また同じことをやっていくことを思い描いていたら、まったく違う人生になっていくんだ、と。川崎にはほとんどゆかりがなかったけれど、急に目の前の世界が広がるような感覚で…楽しみで仕方がなくなりました。」
いつも、音楽が身近にあった
(大西)「川崎駅に初めて降りたときに感じたのは、故郷の広島と似ているな、ということでした。駅からすぐにアーケードの商店街があって、路上で音楽ライブが行われる。ほのかに海の匂いがするような気もして。初めてなのに、懐かしい感覚がありました。」
広島に生まれ育ち、大学も広島、という大西さん。音楽をやっているご両親のもと、三姉妹の真ん中でのびのびと育ちました。
(大西)「幼少期からピアノを習い、学生時代にはバンド活動をしたり、コンサートのPA (「Public Address(パブリック・アドレス)」の略称で、音響の仕事をする人)をしたり、音楽イベントを主催したり、音楽に関わることは何でも経験しながら過ごしました。車に楽器や音響機器を積み込んで旅の空で眠ることも厭わず、そのお供はカーラジオから聞こえてくる音楽。『とにかく忙しくて楽しい』生活をしていました。
小さいころから周りに音楽をやっている人がたくさんいました。その中で、自分はアーティストになるんじゃなくて、モノを作り出す人・音楽をやっている人がもっと世の中に認められて、稼いでいける世界を作るために働きたい、と考えるようになりました。大学卒業後は有線放送(現 株式会社 USEN-NEXT HOLDINGS)に入社して、営業を経験した後に、やりたかった制作の現場に入りました。さまざまなアーティストの楽曲プロモーションをするのはやりがいがありました。」
自身がマネージャーとしてアーティストのプロモーションとして全国をまわる際に、当然、地方のラジオ局を訪れます。
(大西)「地域によってカラーが違い、地元に密着しリスナーとやり取りをしながら番組作りがされていることに感銘を受けました。 当時、働く人も主婦も学生さんも、日々忙しい中で、音楽好きな人が最新の情報をインプットするのにはFMラジオは合理的だということも知りました。」
その後、自分自身のビジネススキルを向上させたい、事業開発や事業戦略の力を鍛えたいと考えて、DeNAに転職します。サービス開発や新規事業立ち上げなど経験した後に、現場のものづくり人材の強化が命題であった当時、採用と組織づくりに課題を感じ、人事に異動しました。大学時代に臨床心理学を専攻していたことや、アーティストのマネージャーをしていた経験も生き、人材・能力の開発、採用といったフィールドで力を発揮します。IT企業で忙しく働く中で結婚、介護、2度の出産というライフイベントがありました。目が回るほどに忙しい生活の中でも「ラジオや音声ストリーミングサービスで音楽を聴くのは習慣だった。」という大西さん。どんなときにもそこには、ラジオと音楽がありました。
そして冒頭で紹介した驚きのオファーがやってきたのです。
「濃すぎる」10ヶ月
(大西)「2021年6月に就任して、最初に気がついたのは、かわさきFMが、川崎の方々にあまり知られていないということです。きっとそのために私が選ばれたのだ、と思ったのでとにかくいろいろな人に会い、かわさきFMを知ってもらうために歩き回りました。」
大西さんが最初に着手した企画は、B1プロバスケットボールクラブ「川崎ブレイブサンダース」2021-22シーズンのホームゲーム(土日を中心に一部日程)のラジオ実況中継です。
(大西)「実は、かわさきFMは長年、川崎フロンターレのホームゲーム全試合の実況中継を行っていて、スポーツ中継のノウハウがありました。これを横展開して川崎ブレイブサンダースの中継ができないか?と短期間でBリーグやクラブに交渉し、協力してくださる制作会社やスポンサーさんを募り、なんとか10月のシーズン開幕から放送をスタートしました。かわさきFMでは、スポーツによる地域活性化や賑わいのあるまちづくり、シビックプライド(地元への誇り)醸成に寄与したい、と考えています。川崎ブレイブサンダースも天皇杯で優勝するなど、波に乗っていました。」
その熱いエナジーを川崎の街に広げる仲介役になりたい、と大西さんは奮闘します。
(大西)「音声だけでスポーツの試合の状況を伝えるのはものすごい技術なんですよ。周囲から、バスケは展開が早いから音だけで実況するのは難易度が高くて無理だと言われました。でも海外ではラジオ中継をやっていましたから、できるんです。国内で他にやっているラジオ局がほとんどないというなら、なおさらやらなくては!かわさきFMの特色に、そして目玉コンテンツになると思いました。」
この中継放送により、かわさきFMは新しいリスナー層を獲得します。
(大西)「放送の中では市民やファンが出演するという、コミュニティFMだからできる企画を取り入れます。子どもの豊かな体験を提供したいという想いで、キッズレポーターを起用するコーナーを設けました。募集した定員にはすぐに達して大変好評をいただきました。キッズレポーターに挑戦したお子さんはご家族だけでなく、クラスメートや学校の先生などが応援にきてくれるなど、新しい動きにつながりました。
子どもと一緒に作る番組や企画は、他にもやりました。完全に子どもだけでラジオ番組を作るんです。生放送です。もちろん、技術的な部分は大人がサポートしますが、子どもたちが主体的にラジオの企画を作って進行していく。免許事業であるラジオというメディアの電波に乗って自分たちの声が放送されるという特別な体験を楽しんでくれる。これはトライアルだったんですが、どれだけこの局が地域とつながっているかを確かめるためには役立ちましたし、課題も見えてきました。反響は一定数あったのでかわさきFMの新たな取組として手ごたえを感じました。
夏休みには、遠方に住んでいる親戚に手紙を書いて読む『おじいちゃんおばあちゃんへ、ラジオでお手紙』という企画を行いました。北海道や大阪、静岡など、コロナでなかなか会えない祖父母に手紙を読むお子さんもいました。今はインターネット『Listen Radio(リスラジ)』でラジオが聴けるので、遠くに住んでいてもスマホやパソコンで孫の声が聴けた!と、喜びの声が届いたんだそうです。カーラジオから自分の子どもの声が聴こえたことに、とても感動した、という親御さんもいました。
かわさきFMは、第3セクター(国や地方自治体と民間が合同で出資する民間企業)なので、地域や自治体との連携が必須です。かわさきFMが川崎の街に対してこういうことができる、ということを知ってもらうきっかけを作るために、フックになるような面白い企画を考えて、コンテンツを形作っていきます。社員4人、アルバイト5人、その他業務委託契約でパーソナリティ・アナウンサーが10人程度のミニマムな体制なので、もちろん私も営業をやり、企画も作り、制作、広報もやります。どんどん街に出ていかなくちゃ仕事にならないんです。」
話を伺っていると、学生時代の大西さんの姿と重なって聴こえてきますね。でも今は、自由な学生時代とは違って家族もいらっしゃる中で、その激務。どのような工夫をされているんでしょうか。
(大西)「特に家事育児の面では頼れる人や親戚が関東圏に全くいないので、いろいろな自治体・民間サービスを活用しています。また、リモートワークである夫のサポートがなければやれていないですね。保育施設への送り迎えやお弁当作りも、やってくれていて感謝しています。仕事の予定については、子どもも一緒にスケジュールをすり合わせて、家族みんなでサポートしてくれるので、毎朝ありがとう、という気持ちで出社しています。」
ストレスがたまったときのリセット方法は「寝ること」という大西さん。それでも嫌なことを忘れられない時は、勉強をするんだとか。別の方向に脳を使って、どうしてこういう思考になるのかと体系的に状況を理解したり、客観的に自分を見るようにしているそうです。自分のいる状況を俯瞰して見られると、確かに気持ちが楽になって、自ずと解決法が見つかってきますね。
今後の展望
今後の展望としては、どのようなことをお考えなのでしょうか?
(大西)「もともとかわさきFMは、地域に即した防災情報や災害など緊急時の情報を迅速にとどけられるメディアとして25年前に立ち上がりました。それを新しい生活様式に移り変わる現代に合わせた形で発展させる。具体的には、緊急時の放送の仕組みや体制作りを進化させるということが急務だと感じています。少人数の体制で運営しているコミュニティ放送局には24時間スタッフが居るわけではありません。例えば、スタジオに居なくても自宅や外からでもリモートで放送中の番組に割込み、緊急情報を放送できるよう、発災直後の放送手法の選択肢を増やしていきたいと考えています。情報源も、川崎市の危機管理本部など自治体や気象庁から届く情報だけではなく、地域の皆さんと連携して、街で実際に起こっている災害の情報を収集できる仕組みづくりをしていきたいと考えています。」
なるほど、確かに災害や防災の情報は今後さらに重要になっていきますね。地域がしっかりした自治のなかで防災体制を築いてくためには、メディアによる情報の収集・発信がとても重要だと感じることが過去にもありました。迅速で、直感的な動きができるコミュニティラジオこそ、武蔵小杉のような地域の防災に欠かせないものなのかもしれませんね。
(大西)「もうひとつは、転入者も非常に多く、多様化する川崎の街の中で、例えばお子さんや若い世代、子育て世代、ハンディキャップのあるかたなど、様々な人が手を取り合い助け合っていける街にしていくために、かわさきFMが人と人を繋げる、人と街を繋げるということをやっていきたい。地域のハブにかわさきFMがなれたらいいな、と。それが具体的にどういう形で実現するとより良いのかはまだわかりませんが、シナジー(複数のものがお互いに作用し合って効果や機能が高まること)が生まれる働きかけをしていきたいです。自分がかわさきFMを任せていただける期間は有限ですので、しっかり種をまいて綺麗な花を咲かせていく、少しずつですがやっと色々なことが動き出してきたので、これからだと思っています。」
そう話す大西さんの眼差しは、未来を見据えて輝いていて、きっと今年もたくさんの素敵な企画を打ち出して、その前向きなエネルギーで実現していくのだろうと感じました。きっとこれからは街の中で、かわさきFMの名前を聴くことも増えてくるのでしょう。これだけ魅力的な社長が自ら街を歩いて、心底楽しそうに構想を語っているのですから。
みなさまも、ぜひかわさきFMの番組表やホームページをのぞいてみてください。大西さんイチオシのスポーツ中継はもちろん、月曜〜土曜日は日替わりでかわさきFM所属のパーソナリティによる情報番組を放送中。インターネットで、どこでも聴けるのがほんとうに便利です。
さらに、かわさきFMは2021年10月~12月末までの3か月だけ特番として放送された「社長大西の”めっちゃいいじゃん”」をアーカイブ配信していて、全13回を聴くことができます。DeNA代表取締役会長であり横浜DeNAベイスターズオーナーの南場智子さんがゲストで登場する第一回に始まり、映画プロデューサーで小説家の川村元気さん、『ドラゴンクエストシリーズ』の生みの親であるゲームデザイナー堀井雄二さんなどなど毎回豪華ゲストを迎えて楽しそうにお話をする大西さんの声と、その人柄に触れることができますよ!
かわさきFM(https://www.kawasakifm.co.jp/)
かわさきFM番組アーカイブ(https://www.kawasakifm.co.jp/archives/)
<プロフィール>
大西絵満(おおにしえま)
広島県出身。
音楽業界に勤めた後、2009 年 株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)入社
ポータル事業本部にて新規事業立ち上げ、ソーシャルメディア事業本部では営業・ゲーム企画コンサルティング・ゲームプロデューサーを務め、HR 本部人材開発部では採用責任者などを歴任
2021 年 かわさき市民放送株式会社 出向 代表取締役社長 就任
音楽まち・かわさき推進会議 理事
川崎市国際交流協会 理事
川崎市防災会議 委員
川崎市防災協力連絡会 委員
川崎市国民保護協議会 委員
趣味はバスケ観戦。 川崎市勤務になり、人と文化の多様性を実感。音声メディアならではの発信で、その魅力をさら に伝え広げたいと川崎市内での交流を楽しみながら仕事に励む。
ライター プロフィール
ASH
ライター業のほか、琵琶を弾き歌い、語り継ぐことをライフワークにする俳優。旅と出会いとおいしいお酒がインスピレーションの源。
カメラマン プロフィール
岩田耕平
25歳からの14年間で1万人を超える家族をフォトスタジオで撮影。15店舗のフォトスタジオで撮影トレーナーを務め、個人ではカメラマンとして人と人をつなぐ撮影を展開。